Mio Mayumi とは?
糸島生まれの糸島育ち。
趣味は本気の海水浴、森林浴。温泉大好き。
糸島の大自然の中で育ち、花や植物が大好きで家の屋根上から季節の匂いを乗せた風を感じながら星空を見る時間が好きな幼少時代。
父の影響で想像力豊かな少女に
語り屋が好きな父の影響もあり、動物とテレパシーが通じたこと、この空間にもし3つの世界が存在したとするとどう思う?
ブラックホールなどの異次元の話に、学校では絶対に教えてくれない想像に想像が膨らむ父の語り屋の時間はこどもながらにとてもとても楽しい時間で、その創造の世界を絵に描く事もあった。
小学6年生 気持ちをぶつけた絵を描かなくなる。
絵画コンクールに出展する作品に神秘的な空が見たことのないライオンにみえて、衝動的にそれを描き先生に提出したが、
”この絵は雑で分かりずらいから出せない。”
と、先生に言われ、、、
なぜ?こんなに神秘的で美しい配色なのに。
という疑問と煮え切れない気持ちが残りそれから自分の気持ちをぶつけた絵を描かなくなる。
中学生 溢れ出す絵に対する気持ち
定期的に絵を描きたい衝動にかられる。
自分勝手な絵ではなく、提出するレポートに書いたり書道の時間にその気持ちを込めて書き上げたり、誰かの役に立つことにその能力を使うようになる。
消化しきれない衝動力は水泳部に所属し、発散。
水の中で聞く水の音が最大の癒し時間で、水中から見える水面が美しい動く芸術作品で満足。
高校生 絵の楽しさを教えてくれた恩師に出会う
自由に伸び伸びと絵を描かせてくれる恩師宮崎先生に出逢う。
先生との出逢いから油絵の魅力にはまる。
17歳の時に人はいろんな花を咲かせることができる可能性を秘めている。
との想いを込めて題名『可能性』を描き上げる
18歳の時に水の中から空気あるところへ
環境を変える事は勇気がいる事だけど、一歩踏み出してみると新しく成長できる自分に出逢えるかも。の想いを込めて題名『進化』を描き上げる。
進化はコンクールにて優秀賞を受賞。
高校の時に描き上げた2作品はすべて頭の中にある抽象画。
卒業後 男性社会の中に埋もれ、絵の楽しさを忘れていた。
メンズアパレル卸売り会社に就職。
1年内勤業務に従事する傍らオリジナルブランドのデザイン企画の勉強に励む。
2年目の20歳に営業へ配属。
男性の中に混ざりながら、ただただがむしゃらに仕事に没頭し3か月後にはレディース事業を立ち上げる。
21歳 体に異変を感じる
営業に出て1年半たった頃から、集中力が持たず体に異変を感じるようになる。
両肩の痛みで整形外科へ。
極度の緊張と使い過ぎから肩が挙がらず肩関節周囲炎と診断。
社内では女性扱いを一切受けていなかったため
”女性だから”
と馬鹿にされる事が嫌で、上司には相談できず両肩に注射を打ち痛みをごまかしながらも仕事を続ける。体が痛くても気持ち200%でカバーして仕事ができていた矢先、社内トラブルで心が折れる出来事が起こりそこから一気に体調を崩す。
4年弱勤めた会社を退職。
この間一度も絵を描けていない。
絵を描く楽しさすら忘れていた期間。
退職後 転職を繰り返し、何をすればいいのか分からない日々
1年以内に3回転職を繰り返す。
頑張りたいという気持ちがあっても、体がついていかない。
心と体がバラバラの高いプライドだけが残りそれでも足掻いて足掻いて走り続けて、1日1日濃い1日にしたくて、二度と戻らない時間を無駄にしたくなくて、人と会えば会うほど刺激を受けてじっとしている時間を勿体なく感じて、焦る。
常に変化、進化、成長、周りの友達と語る熱い夢に近付けたくて、背伸びをし過ぎる日々についにドクターストップがかかる。
ここで、やっと自分は本当に何がやりたいのだろう。
と一から自分と向き合う時間ができる。
今まで溜め込んでたものが全部溢れ出すように大泣きし、鍼灸師の父の元へ相談に。
そこで、心身ともに悲鳴を上げたのは事実だが今までの自分の行動に全く後悔がない。
そして、今まで出逢った人たちは財産となっている。
こんなに有難いことはないと気付く。
自分自身の体をしっかり治す。
そして、自分の周りにはこころから尊敬するぐらいの努力家が多く、みんな体の至る所を負傷している。どこにいても自分の体ひとつあれば治療できるように歩く治療家になると決める。
世界中、日本中旅をしながら絵を描きながら治療ができる。
そして、家族、自分の周りの友達一人でも多くの人を助けられたら嬉しい、元気を与えたい。
出会う人たちすべてに癒しの空間、楽しい空間を提供したい。
これが必ず根底にあり自分のやりたいことに結び付く。
このワクワク感から久々に絵が描きたい衝動にかられる。
楽しくて大好きな空間は、原動力となることを体感する。
23歳 生活をリセット、リハビリ専門学校に入学
柔道整復師の国家資格取得にむけて、天神医療リハビリ専門学校に入学
その間、スポーツクラブにてスイムコーチ兼トレーナー業に従事する。
学校で今の主人と運命の出逢いを果たす。
ここから、また絵を描き始める。18歳の時に描いた進化に手を加え、コンクールに出展。
スポーツクラブの歓送迎会では似顔絵を描き、ライブハウスで他のアーティストとコラボして個展開催。ライブ中にはライブペイントのパフォーマンスを。
Barで開かれるハロウィンパーティーの看板を手掛けたり、ハロウィンパーティー中はお客さんの顔に絵をかいたり、また描く楽しさを実感する。
26歳 国家資格取得、整骨院へ入社
にて無事に国家資格を取得し、ひまわり整骨院へ入社。
入社と同時に腰椎ヘルニア発症。手術をせずに矯正治療と手技、体質改善とトレーニングにて3年でヘルニア完治。
29、30歳 実力をつけ独立
入社1年で主任、1年半で院長に就任。29歳の時に開いた矯正無料体験会では1日に194人来院の中1人で120人を治療する経験を得て、30歳にて独立。
Ohisama整骨院、耳つぼダイエットサロンL’elanVitalを開設。
この間は治療技術習得に力は注ぎ、落書き程度の絵描き活動。
31歳 子供を授かる
妊婦という神秘的な身体に、日々感動。
妊婦中に油絵の美容室の看板のオーダーをいただきお腹の子との共同作品に感激感動する。
絵を描くと嬉しい!嬉しい!と言っているかのごとく胎動を感じる。
こんなに絵を描ける事は幸せな事だと実感する。
息子が産まれて、今までくすぶっていた絵描き魂にスイッチが入る。
この子為にも、私は夢をあきらめない。一緒に夢を描いていく。
覚悟を決めて、今の環境でできることから動き始めた瞬間、こどもの似顔絵TEEに看板デザインに次々とオーダーが入り一回注文をストップかけるほど注文を頂く。
そして、治療院のお客様のご紹介にて増田洋子先生に出逢う。
先生との出逢いにより、さらに絵画の世界への扉が開かれた感覚を受け閃きが止まらない。
絵描きに集中するため、耳つぼダイエットサロンL’elanVitalを手放し、絵描き事業ArtGardenを立ち上げる。
今もワクワクの原動力とともに今を描き続ける。